もう何年も前のお話ですが、タレントの武井壮さんが出演しているテレビだったと思いますが、ご自身の経験をもとにスポーツ選手として頑張る若い人たちをどう見るか?というようなお話をされていました。とても心に残っており、自分にも照らし合わせていろいろと考えさせられたことがありました。私自身はまさに表題の「中途半端な選手」であったと自覚を深めて、我が子に同じ道を歩ませないようにしようと心を決めたものでした。
まずは武井壮さんの話をします。彼は知る人ぞ知る陸上十種競技の日本チャンピオンという経歴を持っています。おそらくは日本人トップクラスの身体能力を有していたずば抜けた運動センスの持ち主です。一つの道を極めています。
日本一を決める陸上日本選手権での話です。国内のトップが一堂に集まる国内では最大の陸上大会ということになります。 しかし、、、観客はまばらで100人とかくらいしか確か入らないといっていたと思います。これを出場選手の人数で割るとトップ選手一人につき数人しか観客が来ていないという計算になります。
武井壮さんはこの事例を取り上げて、スポーツにおける社会的価値はその選手が観客として呼べる数(人数)だといっていました。私にとってはうなずくばかりのお話でした。全くその通りだと思います。
よって何かスポーツを極めようと本気でやらせる親御さんは、その先にどんな価値があるのかということをよく理解してやらせなければならない。また、ほどほどに競技として取り組む、いわゆるプロとして職業にするのではないレベルでやるという線引きをしなければならないということです。そうでなければ本気でスポーツに取り組む時間を差し引くと、ほかのことに向けなければならない時間が極端に少なくなってしまうため、成長しなければならない若い時期にスポーツ以外の成長がない大変に偏った人間になるということです。しかもそのスポーツに社会的に価値のないものであれば、武井壮さんのように、日本一になったとして何も得られず一体俺は何をしていたんだという状況に陥る可能性が高いということです。
ここで私自身の話をします。バレーボールの特待生として高校に進学し、大学も行きました。しかしながらバレーボールにおいてもそのまま全日本クラスとなり就職したり、プロとしての道を歩む選手は本当に一握りです。残念ながらその域まで達していなかった私は、大学生の時に武井壮さんと同じような気持ちを味わうことになります。心の底から、我が子に同じ道を歩ませてはいけないと思うと同時に、必死に前を向いて取り組んできたバレーボールが何にも役に立たないと思った時の喪失感は非常につらいものでした。しかもバレーボールに打ち込んできたここまでの途方もない時間、体力、気持ち、そのほかのことを犠牲にしてきたこと、家族にも大きな経済的負担をかけてきたこと、二度とその時間は取り戻せないなどと感じたこと。取り戻せない、どうしよう。と心から後悔にも似た苦しい気持ちを味わいました。
私は夢を見たりせず、就職に有利になるという路線で行くべきでした。そうすれば得られるものはあったはずです。私たちの時代は就職氷河期といわれ、多少スポーツで頑張っていたくらいでは思い通りの会社への就職などできない時代でした。。。何も考えずに目の前のバレーに必死に取り組んできて大学でも頑張るぞといっていた結果がこれです。
私のブログを購読していただいている方はなんとなく感じておられるかもしれませんが、内容が非常に現実的でシビアだと思います。 きっと私自身が必死にやってきて痛い目にあっているからというところもあるかと思います。子供のテニスに関しても目が出なさそうだと感じたらすぐにでも活動の路線を変えて勉強をたくさんさせるようになると思います。この子の将来のために。。。
やれるだけやってみろ。納得できるまでやらせる。夢を追いかけることは素晴らしい。努力は必ず報われる。やればできる。これからもっとお前は絶対伸びる。
未来のある夢のある言葉を投げかけ続けて子供を勇気づける親御さんはとても立派だと思います。子供もまっすぐに前を向けるでしょう。しかし私は怖くて上記のような言葉をかけることができません。やれるだけやる前に辞めさせることも考えていますし、納得できる前に辞めさせることもありうるでしょうし、夢を追いかけてあとから後悔するようなことにもなるかもしれません。。。
努力を続けていれば結果は後からついてくる このような言葉一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?私自身そのように考えてずっと必死に努力を続ける選手でした。 しかし今私が賛同してしまう話はこちらのほうです。
イチロー氏
「努力の後に 結果はついてこない。」
イチロー選手曰く、努力をしていれば結果は勝手についてくるなどという考え方自体が甘すぎるということです。結果を出すために努力をするのであって、努力していれば結果がついてくるという思考になってしまえば努力すること自体が目的になってしまうという意味合いです。私は身に染みてわかります、この言葉の意味が。
私自身は努力を続けてきて、表題の中途半端な選手となり、途方もない努力を続けてきた結果が俺は何も見えてなかった何に向かって頑張っていたんだろうか。。。という気持ちでした。
話は戻りますが、例えば日本トップのスポーツ選手の例として錦織選手が試合をするということになったら試合会場には何人の観客が集まるでしょうか。いろいろな条件を加味しても1万人は集めることができるでしょう。これが武井壮さんの言っている、世の中での価値ということになるんだと思います。錦織選手のことなら、海外からも観客を集める可能性も高いですしね。
もしもほかのすべてを犠牲にしてでもテニスに本気で我が子に取り組ませている親御さん、取り組ませようとしている親御さんがおられましたら、一度ご飯でもご一緒したいです。話はいろいろと尽きない気がします。 私は目指すゴールが見えなくなった時点であからさまに方向転換させる派の親ですが・・・。
武井壮さんは確か我が子がスポーツ選手になりたいといったらクリケットをやらせるといっていました。その社会的価値の高さを知っているからということでした。これも心に残っています。
私自身のような中途半端なスポーツ選手を増やさないため、また将来受け皿のないところに向かって必死に頑張っている選手が少なくなるための一助にこの記事がなってくれたら幸いです。